ナミイズム*nammy ism

1978年生まれのアラフォーです。 離婚歴3回、婚姻歴4回、子どもは2人(+生き別れの息子が1人)います。

生き別れになった息子の話

ちょっと重い話題です。

そして長いです…

 

今は3歳と1歳の2人の息子を育てていますが、実は私にはもう一人、2004年5月生まれの息子がいます。

1人目の夫との子どもです。

元気でいれば中学3年生…かな?

 

1人目の夫と離婚したあと少しだけ私と一緒に住んでいましたが、様々な理由があって息子が3歳になってすぐくらいのときに元夫に引き取られました。

 

半年くらいの間は毎月面会していました。

ある日面会が終わって息子の家の最寄り駅に送り届けた時、いつもなら改札でお別れをするのですが、その日は突然元夫から少し話があると言われ、改札を出て駅前の喫茶店に入りました。

 

「再婚するからもう子どもとは会わないでほしい。」

 

そう告げられました。

 

離れていても、ずっと会えると思っていたので青天の霹靂でした。

 

離婚した当初親権は私に会ったのですが、のちに息子を元夫に引き取られた理由は私の方の環境に原因があったため、強く言い返すことができませんでした。

 

「母親が二人いると子どもが混乱する。」

 

当時実家とは縁を切っていましたので(モラハラ母兄がいたので)、私には頼れる場所はありませんでした。

 

対照的に元夫の両親は孫をとても可愛がってくれていたので、大切に育ててくれるなら…と、泣く泣く従いました。

 

後日、面会できなくなったあと初めて迎えた誕生日にプレゼントを贈ったのですが、受け取り拒否されて戻ってきました。

 

プレゼントすら受け取ってもらえないのか…と、とにかく悲しかったです。

 

私という存在自体を否定された気がしました。

息子にとって新しい家庭があるのだから私の入り込む場所なんてないんだな。

そう思って、メルアドを変え、携帯番号も変え、引っ越しもし、一切連絡を絶ちました。

 

そして、いつか息子が会いに来てくれたときに、このお母さんでよかった、そう思われるよう、息子に恥じない人生を送ろう。

そう心に決めました。

 

人に優しくしよう。困っている人がいたら助けよう。人が笑顔になることをしよう。

 

仕事していれば悲しいことも考えなくてすむからと、夜中まで働いた日もありました。徹夜した日もありました。

懸命に働き、数年が経過。

当初派遣で入った職場の試験を受け、登用してもらいました。

 

周りから認められて少しだけ自信がつきました。

 

実は子どもと別れて悲しみのあまり携帯を変えてから、古くからの友人とも連絡を絶っていましたが、ある時ふと連絡をとってみようと思いました。

 

高校の同級生Kちゃんと、小中学の同級生のNちゃん、それぞれ一番仲の良かった子に連絡をしました。

 

KちゃんもNちゃんも、あぁよかった!生きてたんだね。心配してたんだよ~、みんなも心配してるよ!会いたがってたよ!

突然連絡を絶った私を一切責めることなく、心配と喜びの言葉をかけてくれました。

 

Kちゃん、Nちゃん経由で、高校と小中学の同級生それぞれと再会することもできました。

みんな以前と変わらず接してくれて、ほんとうに嬉しかった…。

 

友達は大切にしよう、困っていることがあったら次は私が助けよう。そう心に誓いました。

 

息子に会いたいな…。

 

友達との再会を果たしたあと、悲しさのあまりできるだけ考えないようにしていた息子に会いたくなりました。

 

元夫のメールアドレスに連絡をしましたが、すでに変更されていてエラーメールが返ってきました。電話もつながりません。

当時の自宅に手紙を送りましたが、宛先不明で返ってきました。

数年の間に変化があり、完全に連絡がつかなくなってしまっていました。

 

息子と別れたことはとても悲しかったけれど、神様が未熟な私を生まれ変わらせようと与えてくれたきっかけなのかもしれないと今では思っています。

 

正直それまでの私は、適当に働いて適当に生活できればいいくらいにしか考えていなかったし、ふわふわと地に足がついていなかったと思います。

今でも大した人間ではないけれど、その時に比べたら少しはまともになったかな…。

息子がいつ私に会いに来てくれてもがっかりされないように。

今でもその気持ちは変わっていません。

 

 

優輝へ

いつかまた会えたら嬉しいです。